2016/08/11

ポーランド⑨ ビルケナウ第二強制収容所

★第二収容所ビルケナウ



第一収容所に隣接する地区に作られたビルケナウ収容所は、純然たる「絶滅収容所」です。
絶滅収容所(英: Extermination camp、独: Vernichtungslager)とは、特にジェノサイドを主な目的とする、あるいは主な目的とした収容所を指すもので、一般的な強制収容所や労働収容所などとは異なり、犯罪行為に対して刑罰を与えるための場所としてではなく、絶滅を促進するためのものを指します。

つまり、「人間処理工場」です。


第一収容所を見たあとにここに来て、まず思うこと。


広い、狂ってる。



ビルケナウは総面積は1.75平方キロメートル(東京ドーム約37個分)、300以上の施設から成る施設で、第一収容所のガス室をはるかに上回る規模のガス室(クレマトリウム)を含め6棟のガス室を備えていたと言われます(ソ連軍接近に際し、証拠隠滅の為破壊され、現在は残っていません)。

労働に適さない女性・子供・老人、さらには劣等民族を処分する施設として活用され、一説には「強制収容所到着直後の選別で、70~75%がなんら記録も残されないまま即刻ガス室に送り込まれた」とされており、このため前述のように正確な虐殺総数の把握は現在にいたってもできていないのです。

なぜヒトラーはユダヤ人を抹殺しようとしたのか、これには歴史的に「反セム主義」から何ページにも渡って語らねばならないほどに根深い根底部分を持っているので、簡単に説明することは難しいのです。
もともとキリスト教が普及したヨーロッパにおいて、ユダヤ人はキリストの磔刑に関与したとされたため、キリスト教徒から「神殺し」とみなされ、中世以降様々な迫害を受けてきました。
このためユダヤ人は公職に就くことも土地の所有も認められず、また職業制限も課せられたために職工や農業といった生産的な職業に就くこともできず、質屋などの消費貸借専門の金融業や両替商がユダヤ人の主な職業となっていき、この頃からユダヤ人を堕落した人間と見る風潮があったとされます。
18世紀頃ユダヤ人の権利が開放されかかると、資金力を生かしユダヤ人は成功を収め、産業革命の波にも乗って成功を収めるユダヤ人も多く登場し、この時代頃からは躍進著しいユダヤ人への妬みや反感も相乗効果として乗ってくるようです。

このような憎しみや反感、つまりヘイトを政治に利用しようという人物はいつの時代にも存在し、19世紀末になると、ロスチャイルドなど、当時成功を収めていたユダヤ資本を猛烈に攻撃、ユダヤ人批判で民衆の反感を煽り、ウイーン市長に4度も当選したカール・ルエーガーという人物が現れます。
その後を調べると、彼にとってこれは選挙戦術のひとつの方便だったようで、あとあとになるとユダヤ攻撃も鳴りをひそめていきますが、当時ウイーンでこの演説を聞き、これに強烈に感化されてしまった画家志望の青年がいました。
彼こそが、アドルフ・ヒトラーです。


これがホロコーストにまで至る理由について、様々な観点から様々な研究が現在もおこなわれていますが、当時の情勢から察すると、ユダヤ人を排斥しようという高まりはヒトラー個人にのみ帰結する問題ではないのです。彼は猛烈な発破をかけて暴走させた人物であって、根源ではないのです。むしろ、彼自身も政治家に都合のいいヘイトでまんまと洗脳されてしまった人物であるとも言えます。

為政者が都合のいい「敵」を明示し、不安と反感を煽り、自分の都合のいいように政治を動かして行く姿というのは現代でも行われていることで、その行きつく先が、戦間期のポーランド人や戦後ドイツ人の受けた悲劇であり、ポーランドで私の目の前に広がった「人間抹殺工場」なのです。


「死の門」などと呼ばれる門、ヨーロッパ各地から鉄道によって大量のユダヤ人がビルケナウに送られてきました。アウシュヴィッツを扱った映画にはほぼ必ず登場する門です。
この門をくぐったが最後、まず生きて出ることはできませんでした。

当時の貨車が復元され、ビルケナウの収容所内に展示されています、これに座ることもできないほどのユダヤ人が詰め込まれてここへ運ばれてきました。この貨車の中でそのまま亡くなる人も少なくなかったそうです。



貨車から下されたユダヤ人はその場で選別され、労働に使用できない者などはそのままガス室に送りこまれました、レール沿いに並べられている人々はガス室へ行く人々です。


同じ場所で撮影したものです、つい70年ほど前まで、この場所で身の毛もよだつ選別が行われていたのです。


一時的にでも収容される場合はこの電流線のついた鉄の門をくぐります、そしてバラックへと分別されていきました。





バラックの中の環境は劣悪そのものです、冬には氷点下になるバラックには暖房もなく、疫病も蔓延していたといいます。ここに大量のユダヤ人が詰め込まれていました。



この巨大な狂気の施設は、勝手に地面から生えてきたものではありません。


人間が作ったものなのです。


0 件のコメント:

コメントを投稿